お知らせ

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親鸞聖人
ご門徒連絡

御取越報恩講法要のお知らせ

【ご門徒の皆さまへ】御取越報恩講法要が今年も4月15日(月)に厳修されます。
報恩講は浄土真宗の開祖親鸞聖人のご命日の法要です。
古くから浄土真宗では年間で一番大きな法要として大切にお参りしてきました。
当日のスケジュールは以下の通りとなっています。ぜひお参り下さい。
雅楽の演奏もあり大変賑やかな法要になるかと思います。
お寺の法要に興味がある方もぜひ一度お参り下さい。
10:00 法話 長岡 雲外寺住職 真敷祐孝さん
10:30 お参り 雅楽の演奏で僧侶が入堂し、皆さんと一緒に正信偈をおつとめします。
11:00 法話 引き続き真敷さん
12:00 お斎 
12:30 終了

にしん
日々のこと

春彼岸が終わりました。

春のお彼岸が終わりました。

毎年お彼岸が終わる頃になると、小千谷の雪も溶けはじめ、春らしい天候になっていきます。
今年が小雪ということもあり、一気に春が近づいてきた感じがします。

毎年の恒例行事ということで、毎年同じようにお参りさせていただいているのですが、20年近くご門徒さんのお宅を回らせていただくと、病気や怪我をされたり、引越しされたり、またはご往生されたりと、色々な変化があって、同じお参りは無いのだなあと気付かされます。

写真のにしんは、あるご門徒さんが毎年お参りの時期になると、たくさん作ってお茶の時間に出して下さるもので、弱火でじっくり煮たにしんは、骨まで柔らかくなっていてとても美味しいのです。

毎回当たり前に食べているのですが、ご門徒さんが作れる状況に無かったり、逆に私がお参りに行けなかったりすれば食べることが出ないわけで、それは当たり前のことではないのだなぁということを思いながら、ありがたくおかわりさせていただきました。

 

日々のこと

お彼岸参りが始まりました

春のお彼岸になりました。
小千谷では僧侶が一件一件、ご門徒さんのお宅を回りお仏壇でお参りする習慣があります。
これは小千谷市の習慣というよりも、旧小千谷町の習慣のようです。
近隣の村と合併して、小千谷市になって60年が経つそうですが、お寺が関わる習慣は昔のままで、同じ小千谷市でもお参りに行くところと行かないところがあり、ちょっとわかりにくいことになっています。
60年前の車のほとんどない時代の習慣が、今でも残っているのは不思議な感じです。

このお彼岸の期間中に一件一件お参り回る習慣はあまり他に無いようです。
十数年前に京都のご本山の学校でお経の勉強をしていた頃に「お彼岸で新潟の寺が忙しいので帰らせて欲しい」とお願いしたところ、「お彼岸で帰るとはどういうことだ!!」と酷く怒られ、「いやそんなこと言われても物理的に回らない(忙しいのわかるでしょう?)ので帰らせて下さい」「(忙しくもない行事で帰る何て)けしからん!」と噛み合ないやりとりをしていたことがあったのですが、習慣の違いということは後になって知ったのでした。

お彼岸のお参りのいいところはお盆と違って1週間の期間があるので、ご門徒さんと比較的ゆっくりお話し出来ることです。
真面目な話をしたり、お仏壇のお飾りの配置をなおしたり、笑い話したりと、それぞれ話題は変わりますが、貴重なコミュニケーションの場になっています。

今日も朝から回らせていただきます。よろしくお願いします。

寺報99
日々のこと

寺報(99号、実は100号)発送作業中です

今年初めての寺報を現在発送中です。
せっかくこのホームページのアイコン用に作った消しゴムはんこがあったので、そちらを利用しながら作ってみました。
何となくすっきりした感じになりました。
なんと99号です。次回100号!なのですが、実は数年前に同じ号数のまま2ヶ月連続で出してしまっていたので、今回が100号になります(笑)

私がお寺に帰って来て唯一と言っていいほどコツコツ続けているのが、この寺報なのですが、ぜひご家族の皆さんで読んでいただけたらと思います。

 

ご門徒連絡

春彼岸のお参りについて

【ご門徒の皆さまへ】
春のお彼岸参りが3月18日から始まります。
例年通りのペースでお参りさせていただきますが、ご希望のお時間等ありましたら事前に極楽寺までご連絡下さい。
 
3月17日は桜町方面のお彼岸参りです。こちらも予定通りです。
 
よろしくお願い致します。

麻田弘潤 北山
日々のこと

県外で法話のご縁をいただきました。

3月1日に本願寺北山別院(京都)、3月6日に本願寺長野別院と2カ所でご法話させていただくご縁をいただきました。
北山別院は常例法座、長野別院では青年布教使研修会の実演とそれぞれ異なる場面でのご法話でしたが、どちらも同じ内容でご法話させていただきました。

まもなく東日本大震災から3年が経ちます。私たちの宗派は直後から「悲しみに寄り添う」というスローガンを掲げていました。

しかし、どれだけ寄り添うことが出来たのでしょうか?

 

寄り添うと言いながら、実際はそうでない場面を多数見てきました。自分も寄り添えていないなぁと思うことが多々ありました。

本当に寄り添うことってどういうことなのだろう?

 

そんなことを考えならの法話の時間となりました。

日々のこと

納骨堂の入り口

納骨堂の入り口にはこんなヒビが入っています。

これは2004年に発生した新潟県中越地震の時に入ってしまったものです。
当時はまた新築の納骨堂でしたので、地震の威力に驚かされたものでした。

もうすでに風景の一部となって気にもならなくなっていたのですが、ふと目に入ったので写真に撮ってみました。
極楽寺に来られた時は触って確かめてみるのもいいかもしれませんね。

日々のこと

二本松市の真行寺様にお米を届けました

極楽寺では東日本大震災の直後から、仮設住宅での生活セットやお米をお届けする活動を行っています。
今回はご門徒さんから提供いただいたお米(150キロ!)を福島県二本松市にある真行寺様へお届けしました。

一昨年の8月の盆参法要の時に、住職の佐々木道範さんからお越しいただき、福島の現状をお話いただいたことがきっかけで、何度かお米を遅らせていただいています。
佐々木さん達は、今も放射能汚染から身を守るために除染など出来ることに積極的に取り組んでいらっしゃいます。食事も内部被爆を防ぐために汚染のない野菜を集め、お寺で市場を開催しています。お米はそこで使っていただくことになっています。
写真は真行寺の佐々木るりさんと市場を手伝っているお母さんがたです。

今後も何かしら出来ることがあれば、ご協力出来たらと思います。

お米
日々のこと

被災地でお米を配ったあと、震災当時の映像を見て感じたこと

2月24・25日と宮城県亘理町というところにボランティアに行ってきました。
亘理町は宮城県の中でも福島県側の海沿いの街です。
2011年3月11日の東日本大震災の際には、やはり津波の被害を受けてしまい、多くの方がお亡くなりになりました。

私は2011年3月末から亘理に初めて入り、時々行ってはボランティア活動を行っていました。


諸行無常ズなどの消しゴムはんこの活動は、こちらの仮設住宅の集会場でオーダーメイドの消しゴムはんこを作ってプレゼントしたことがきっかけです。

今回は津波の被害に遭われた方々がお住まいの仮設住宅へお米を届ける活動をしている「震災支援ネットワーク東海」さんからお声がけいただいて、3キロに小分けしたお米を一軒一軒手渡ししながら、お話を聞かせていただくという活動を行ってきました。

そこの仮設住宅にはボランティアを通して知り合った方(Aさん)がいらっしゃったのですが、震災支援ネットワーク東海さんのメンバーが20名以上いて、その中で団体行動をしなくてはいけなかったので、お会い出来るかどうかわからなかったのですが、タイミング良く全てのスケジュールが終わってからAさんとお会いすることが出来ました。
Aさんは津波で被害を受けた場所ではないところに家を建てたばかりとのことで、新しい住宅にお邪魔して少しゆっくりさせていただきました。
周りの住宅もほとんど津波で被害をうけた方々が建てたものだそうで、隣の山元町から移り住んできた方も多いとのことでした。
お茶を飲んでしばらくすると、震災当時の写真や津波の映像を見せていただきました。普通は見せないものだそうです。
最初に建物の3階くらいから津波が押し寄せる映像を見せて下さったのですが、周辺には何人もの人がいるのか叫び声が響いていました。津波が押し寄せる中、画面の端を走っていく男性の姿が見えました。「きっとこの人は助かっただろう」とのことでしたが、その後の津波の勢いを見ると「ほんとにそうなのか」と思わずに入られませんでした。
次に見せていただいた映像はヘリから撮影したもので、津波が発生して海岸に到達したところからどんどん勢いを増していく様子が撮影されていました。
色々なものを巻き込みながら勢いを増す津波を撮影している先に、ついに民家や道路が映し出されるようになりました。そして少し先には避難中の車が。思わず「あっ!」と声を上げてしまったのですが、道路が津波の進行方向になく、津波から平行に伸びていたので、車を走らせても全く津波から離れることが出来ず、そのまま車は巻き込まれてしまっていました。

 

その後津波はどんどん進み、今度は渋滞している車の列を巻き込みました。

 

映像はヘリの音だけだったのですが、直前に見た映像の叫び声を思い出し、きっとその場所も叫び声が聞こえていたのではないかと考えました。そして、叫んだり私がそっちに逃げちゃダメだと思ったところで、容赦なく津波は全てを巻き込んでいくという現実を目の当たりにしました。
さらに当事者のAさんから見せられたことで、よりリアルに感じたのかもしれません。
その後、津波に巻き込まれた方の捜索の様子の写真を見せていただきました。普通はメディアには出てこない写真ばかりでした。捜索されている方の大変な苦労があって、ご遺体を発見出来ていることを教えていただきました。

そのあと「発見された方はほとんど即死だったから苦しむことはなかったんだよとお医者さんは説明していたど、本当にそうなのだろうか。やっぱり苦しいと思うんですよね」という話をAさんがしてくださいました。死は個人の問題だけでなく、その方に関わる人達にも影響を及ぼすものであり、残された方々に対して少しでも安心してもらう役割を今回はお医者さんが担ってたのかもしれないという話になりました。
結局、色々な方にお会いしている間に亘理の出発が夜になり、新潟に到着したのは日をまたいでからということになりました。
帰りの磐越自動車道は夜中ということもあり、ほとんど車が通行しておらずとても静かだったのですが、静かになるといろいろ考え出すもので、津波に巻き込まれた車や、叫び声、ご遺体の姿がフラッシュバックのように浮かび上がってきました。
1人で運転中ということもあり、そのことばかり考えるようになり、だんだんと気分が悪くなってしまいました。
最初は「見なきゃ良かったな」と思いました。しかし、その日私が見たものはまぎれもなく現実に起きたことで、私が見ようが見まいが関係なく起きていた事実です。見なきゃ良かったという考えは臭い物に蓋をするだけのことで、現実逃避にしかならないということを考えると、やはり見た方が良かったと思なおしました。

 

何気なくボランティアでお米を配っていましたが、仮設にお住まいの皆さんはもれなくこのような現実を抱えながら生活しているということを再認識させられました。
私は原発事故による避難者の方々と交流がありますが、直接話を聞いたり色々なことを調べていくうちに、外向きには何てことない言葉でも、その裏には複雑な心情があることを学びました。
そのことで会話や行動が変わってきたように思います。
例えば、自主避難の方で新潟に来ている方が「戻ることになった」と言った場合、地元に帰れるのだから「おめでとう」という人も少なくありません。しかし、もともと危険を感じて避難してきた方にとっては「地元に帰る」という選択肢は諸手を上げて喜ぶことではありません。とても複雑な心境です。
「よかったね」と言われても・・・・となります。
このことは色々な話を聞いて、放射線の知識などを学んでいくことで理解出来るようになってきました。

 

それと一緒で津波の被害にあった方のところへボランティアに行くのも、どのような現実があってどのような心境なのかを聞かせていただきながらでないと、ある時に全くズレた行動を起こしてしまうのかもしれません。
ボランティアは相手があってはじめて成り立ちます。いきなりボランティアはこういうもので、被災者はこういうものだというルールを作って入ってくるボランティアはあまり好きになれません。
お米を配ることで終りなのではなく、そこから色々なお話を聞いて、また出来ることを探していこうと「対話」を大切にしようとがんばっている震災支援ネットワーク東海の皆さんとこれからも一緒に活動していきたいです。

日々のこと

夜中の仕事

住職も当院も深夜に仕事をしていることが多いです。

今も明日の研修会の準備と、過去帳の記入などを行なっています。
同時に極楽パンチ関係のメール返信や、諸行無常ズの連絡、その他諸々のスケジュール調整はこの時間帯に進めています。

住職の仕事のしかたはしたくないなぁと思っていましたが、気付いたら似たような時間の使い方をするようになりました。
だんだん似てきてしまうのでしょうか・・・。

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