坊主ブログ

色々と考えさせられたこと

非常に悲しいなぁと思ったことが2つありました。

 

これからお坊さんになる人達に、人権問題をテーマにした話をしてきました。
休憩時間には入り控室に戻ろうとしたところ、1人の若者が追いかけてきて話しかけてくれました。
その方には障害がある兄弟がいるとのことなのですが、以前周りから「お前の弟は障害があって、仏教の勉強が出来ないから仏教が理解できない。救われないのではないか」と言われ、何も反論出来ないまま今ここにいる。
このままで自分はお坊さんになっていいのだろうか。という思いを話してくれました。

 

講義が終わった後、本山の西本願寺に向かい、新しい住職の就任を祝う伝灯奉告法要をお参りしてきました。
全国から2000名以上の門徒さんが集まっていたのですが、法要後に住職一家からお話を聞く集いも行われました。
そこには年中さんの息子さんも住職の隣にいて、手を振ったりインタビューに答えたり、手話を使った自己紹介などをしていました。
その子はインタビュアーから「○○様」と呼ばれ、非常に丁寧すぎる言葉遣いで質問をされていました。
その様子を見ている門徒さん達は「かわいいかわいい」とニコニコしながら見ていました。

 

多くの門徒さんは、すでにこんな可愛い跡取りがいるのね。という安心感と、住職一家への親しみが湧いているようでした。
僕は、まだまだその場の感情で行動することの多いような子ども(将来設計なんて無い)に、跡取りとしての殻を被せていることや、演出の一部に利用されているという事実に、涙が出そうになりました。

 

仏教は、近づけない壁であったり、貴方はこういう役割の人間だという殻のようなものは、そもそも無いんだということを教えてくれているものだと思います。
壁だと思ったり殻だと思ったりしているものは、私が作り出しているもので、本当は誰もがつながりあって支え合っていて、大きな1つの流れの中で生きているということに気づいていって、私たちが作り出した壁や殻を剥がしていく営みが仏教に生きることなんじゃないかと。

 

それなのに、なぜ仏教に触れまくっている場で、このようなことが起きてしまっているのか。
仏教を学ぶことが壁や殻を作ることになってしまっている。
この大きなエネルギーによって、差別されている人が目の前にいるのに気づかないでいるということは、本当に怖いし悲しいです。

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